日蓮宗の法話より
生かされて生きているということに感謝の気持ちを
日蓮宗の法話より
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【 『人間一人の命を一年間養うには、マスという魚に換算して三百匹分の栄養が必要であり、一匹のマスを一年間養うにはカエル三百匹、一匹のカエルを一年間養うにはバッタ三百匹の命が必要になる』という話があります。この計算によれば、一人の人間の一年間の生活は、バッタの命に換算して二千七百万匹分の犠牲の上に成り立っているということになります。
一生涯では、と考えると膨大なものとなりますね。こう考えた時、私たちは多くの生き物や水・空気などあらゆる自然の恩恵を受けて《生かされて生きている》ことに思い至らずにはいられません。そして、そこから、すべてのものに感謝する心、すべてのものの命を尊ぶ心、さらには、他への施しの心などがおのずと生じてきます。】
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人は病気になったり健康を損なったときに初めてその尊さに気付いたりするものですよね。人の命の一年間を、いえ、一日を考えても、どれほどの命の犠牲の上にこの身体が維持されているのかと、よくよく考えてみるととてもありがたく思えてきます。
しかし、日常において、そんなことはすっかり忘れてしまっているものです。暖かい寝床で眠り、自分の力で起き上がり、おいしいと感じながら食事をして、のどが渇けば水が飲めて、周囲の人と笑ったり怒ったり泣いたり、走ったり歩いたり。実にありがたいことの連続で、人の一日は過ぎて行くというものです。
そう考えられれば、なんとなく過ぎていい一日なんてないのだと気付きませんか?生まれてきて、今を生きているということは、必ず死のときを迎える日が来るという証です。自分に訪れたそのときになって、ああ、もっとこうした人生にしたかったのに、もっとやれることがあったのに、と悔やむ気持ちを抱えたままではいくら良い戒名をいただけても、生前にそれほど悪い行いをしていなくてもやはり成仏できない気がしてしまいます。
いただいた生をまっとうできなかったということになるのではないかとすら思います。死の瞬間というのは、いつ訪れるのか誰も知りませんからね。実はそんな不確かな毎日を自分は送っていたのだと、もっと認識すべきなのかもしれません。この身体をもって生かされている、ということに感謝を忘れずに日々を送るべきなのです。
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